自己責任という他者支配

今日の仕事で、ふと思ったこと。

印刷機のトナーが切れ、替えようとしたら在庫がなく、慌てて発注。

電話越しに「ご不便をおかけして、大変申し訳ありません」と。

おかしくない?

不便やけど、別にあんたが悪いわけちゃうやん。

うちの上司も「失敗の原因を自分に求めれば成長できる」とか言うけど、見境なくそんなことしてたら、ただの自己中ちゃうんか。

相手の不便を自分の失敗に転化するのは、自分が他人を支配するのと同じなのではないか。「あなたの不便は、私の失敗の支配下にある」、「あなたは、私の支配下にある」と。たとえ、表面的には善意であっても。

とりあえず謝っとけばオッケー的なこの風潮は、「日本的」と形容されそうやけど、抽象的に「日本的」と言ったところで何も解決せず、むしろ「まあ、国丸ごとの問題やし、しゃーないよな」と、曖昧に誤魔化されるだけ。

上司にこれを直で言うわけにはいかんけど、少なくともこんな思考停止状態には、俺はなりたくない。

「積極的棄権」批判の危険性

 東浩紀氏が提起した「積極的棄権」の持つ可能性が、今回の衆院選が終わると同時に潰えることを危惧して筆を執った。

 東氏の提起の意義は、選挙を前提とした議会制民主主義に根本的疑義を呈した点にあると考える。思い返せば、中学校や高校の社会科の授業の時から、「選挙では投票に行くように」と言われてきた。それは私だけではないだろう。そして、現に私は、今回も含めて、欠かさず投票をしてきた。選挙での投票は、議会制民主主義という制度の歯車を回し続けるには必要不可欠な作業である。東氏の提起は、「積極的棄権」により歯車を回さないことで、議会制民主主義を批判的に再考しようという点に、本意があるのではないか。それは別の民主主義の在り方を模索する可能性をも示唆する。

 「棄権は危険」といった意見が散見されるが、私も理解はできる。主権者にとって、投票は政治運営に参加できる主たる機会だということだろう。だが、だからといって別の民主主義の可能性が抑圧されることには、納得できない。そう思い、投票には行ったが、東氏のキャンペーンにも署名した。「保守対リベラル」という奇妙な対立構図の中で、「積極的棄権」は「革新」に分類されうるかもしれない。東氏に言わせれば、この私見は「誤配」なのかもしれないが、この第三極による民主主義の活性化の可能性が、衆院選後に抹消されることだけは、何としても避けたい。



以上、いつも通り某新聞「声」欄への没稿です。

思考力の欠如が主権者の忘却的納得へ

政治家の失言とその撤回。個人的にはもう飽き飽きしている。国務大臣は全員がそうではないが、内閣総理大臣は国民の代表たる国会議員でもある。国会議員は選挙で当選しなければその地位を持続できない。したがって、安倍内閣を政権から退けるには、選挙で当選させないことが選択肢としてある。だが、恐らくそうはならない。先は見えている。安倍政権の存続である。なぜなのか。

 選挙があるため、政治家の地位は本来可変的である。それにもかかわらず政権が不変的なのは、主権者が不変的だからである。その大きな要因は、思考力にある。仕事や日常生活でも、要領の良さ、成果と共に行動力が特権的に重視され、要領の悪さ、過程と共に思考力がいとも簡単にポイ捨てされるのが現代日本である。大学の人文系学部の蔑視が典型ではないか。種々の悪法成立の際にも、「デモに参加した」という「行動」で、政治参加をしたと思っている方も多いと思う。

 政治家の失言があると、大方の「声」はその政治家に向く。しかし、それでは政権を逆説的に持続させることにはなっても、交代させることは不可能だと考えている。政治家への表面的かつ行動的な批判をして事足れりとする態度は、このポイ捨てを助長することにしかならない。その先は、政治家の発言撤回と、主権者の忘却的納得である。私の「声」は政治家ではなく、主権者に向けている。

「責任をとれ」という無責任さ

政治家の失言による発言撤回は、今に始まったことではない。例えば、山本地方創生相の「学芸員はガンだ」、今村復興相の「自主避難は自己責任だ」という発言が、大きな話題となった。世論はこうした見解に批判的であることは言を俟たない。政治家も世論も「発言撤回だ」「辞職だ」とまくし立てる。民主主義の主権者、国民の責任が麻痺した現代日本に、いかにもふさわしい姿である。「民主主義って何だ」という問いが生じるのは、蓋し必然である。しかし、私はこの光景に大きな違和感を持っている。

 彼らを政治家に押し上げたのは誰か。主権は国民にある。当然、内閣の閣僚を選出した首相も含めて、彼らの最終的な任命責任も、代表者を選挙で選出した国民にある。「責任をとれ」と政治家に発言撤回や辞職などを迫るのは、主権者自らの責任放棄以外の何ものでもない。その主権者の無責任がファシズムを生成したのではなかったか。

 この歴史的事実は、国民の無責任化によって、民主主義が容易に独裁化することを明示する。発言撤回後には静まり返る世論が、その無責任さを傍証している。昨今の国民の無責任さは、例えば教育勅語に賛同する人々にとってはさぞかし追い風となろう。私はこの近況に恐れと怒りしか感じない。責任をとるには、普段から選挙公報や政党の主張をチェックするなど、政治権力を監視し、選挙に一票投じることだろう。凡庸かもしれないが、主権在民の意義を活性化するには、このような形で国民の責任を全うすることしか、方途は思い当たらない。

差別的な差別批判

差別的な差別批判

 2016 年10月20日沖縄県のヘリパッド移設工事への抗議活動に対して、大阪府警の機動隊員が行った差別発言が波紋を広げている。21日には『朝日新聞』社説も掲載された。いかにこの発言が重大な事態であるかを物語っている。しかし、ここで注目したいのは、管見の限り、専ら一連の報道が「土人」という言葉に収束している点である。

 『朝日新聞』の21日の記事に、「土人」とは沖縄や福島の人々へ向けられることが多いという中川淳一郎氏の指摘が掲載されている。つまり、「土人」とは国内向けの差別用語だということになる。だから、一連の報道も国内向けの差別用語に焦点を当てていることになる。その批判は必要ではある。だが、報道によれば、実際には「シナ人」という言葉も飛び交ったと言及されている。ただ、言及されている「だけ」である。なぜ国外向けの差別用語は議論が深められないのか。

 かつて福沢諭吉は「脱亜論」を説いたとされる。仮に直接の作者でなかったとしても、文明の観点から向けられた野蛮への差別意識が福沢に、そして近代日本にあったことは疑いない。その野蛮に中国も含まれている。近代日本に共有された福沢文明論が、現代日本に甚大な権力として機能していることに、改めて瞠目した次第である。

 国内向け用語には注目するが国外向け用語には注目しないという差別が、差別批判にあっては本末転倒であることを明言しておきたい。

「改憲派」への一回答

8月13日の朝日新聞「声」欄掲載の、鈴木博氏による「改憲派から護憲派への質問」を拝読した。以下、鈴木氏の議論に根本的な疑義を提示することで、私なりの回答としたい。
 ご投稿の質問①③については、「はい/いいえ」の二択に強制的に収斂し、自ずと改憲派に有利に働く質問の仕方である。②も下記の私の考えからすれば意味を成さない。したがって、①〜③はいずれも「抑止力」の機能を問うと見せかけて、著者の意図と無関係に、その実ある隠蔽が行われている。その隠蔽に関するのが、ご質問の前提である、「改憲か護憲か」という類型化である。自衛隊の活動を拡大(改憲)しようが縮小(護憲)しようが、アメリカ合衆国への植民地的従属関係を強化することにしかならないというのが、私の見解である。表面的な「改憲か護憲か」の議論からは、この植民地的従属関係は隠蔽される。この隠蔽は、例えば沖縄の在日米軍基地の強制を黙認するという形で具現化する。
 ゆえに、考察すべきは、「改憲か護憲か」ではなく、植民地的従属関係にどのように向き合うかではないか。この関係を変容させうるのが第九条であると、私は考えている。戦力の不保持は、近代国家の常識から逸している逸脱したものだが、だからこそ植民地的従属関係をも再考する契機となるのではないか。

子安宣邦『徂徠学講義』―子安思想史と言説論的転回を問う―

子安思想史(敢えてこう言う)は、従来の思想史とは区別して、自らを「言説論的転回」*1に位置づける。それは、例えば次のようにある、「言説=事件」という方法論的視座を有することによる*2

「事件」としての徂徠学という私のアプローチは、徂徠の発言が十八世紀の思想空間においてもつ事件性を明らかにしようとするものであるが、そのことは同時に、そうした徂徠の学問・思想上の発言を「言説」ととらえる観点から、その「言説」としての意味を問おうとするものであるのだ。(中略)徂徠の発言が受け手のうちに、事件としての波紋をもたらした、そのことを見るべきであろう。反徂徠の論者たちが発言の動機に遡ってそれに醜聞的な色合いを帯びさせたのは、徂徠の発言そのものが強く事件性をもっていたからである。徂徠の発言の何が事件的であったのあか。見るべきなのはその点であり、私が本書で論じようとしたのも、まさしくその点である。徂徠の発言の事件性であり、その事件=言説の意味である*3

この「事件=言説」(フーコーが直接の典拠とされているが、恐らくドゥルーズなども念頭にあろう)が批判的に向き合う方法論的視座として、「テキストの内側への読みの深化、徂徠という思想主体を十全に構成する形での読みの深化のうちに、言説のほんとうの意味を確かめようとするアプローチ」*4と、「ある物語を構成し、その展開の筋道にその言説を位置づけることで、その言説の意味をとらえたとする立場」*5がある。そして、「さきのアプローチが、さまざまな言説を内から統一的に体系づけているような思想主体を再構成することで、その言説の意味の把握を終局させようとするものだとすれば、このアプローチは、さまざまな言説を内から綴り合わせる歴史・物語の筋道を再構成することで、その言説の意味を把握したとするのである」*6とされ、後者には丸山眞男、前者には(宣長論ではあるが恐らく)小林秀雄が想定されている。

徂徠のために弁ずるかたちになるんだけれども(笑)、酒井さん〔酒井直樹‐田中注〕の言われているのは丸山的な徂徠像だという気がする。丸山政治思想史がとらえる権力的制作者徂徠から出てくる世界像は、そういうものだろうと思うのだけれども。徂徠の側から立って弁ずると、一つは異質なもの、多様性を含みこんだ政治的な世界というか、それが徂徠が言う「礼楽」からなる世界だと思うのです。徂徠の立場からすると画一的な世界、あるいは均質的な世界というのは、先王の世界とは逆のものだと思います。(中略)むしろ均質なものと捉えているのは朱子学的な世界で、それに対して「道」が「文」だということで朱子学的言説に解体的に関わったのが徂徠の言説だと思うのです*7

ぼくは徂徠を音声中心主義と捉え、そこから徂徠に共同体的な内部意識の発生や国家主義の原型を読み取っていくことに異論があるのです。それは結局、丸山さんの徂徠をひっくり返したことにすぎないのではないかと思っているのです*8

だが、子安は約15年後には、次のように語るに至る。

徂徠学とは社会的存在としての人間と、その社会的形成のあり方をめぐる、徹底した外部的視点からなされた日本思想史上最初の社会哲学的記述である。(中略)徂徠学が宣長国学や後期水戸学を介して近代日本の国家理念の形成に深くかかわっていることの指摘は、影響的射程という思想史的地平を超え出た問題の地平にわれわれを導くだろう*9

 これはまさに、「徂徠に共同体的な内部意識の発生や国家主義の原型を読み取っていくこと」であり、「丸山さんの徂徠をひっくり返したこと」になるのではないか。だが、ここでも子安は丸山にきわめて批判的である。それは『「事件」としての徂徠学』と通ずるところである。この子安による丸山批判が隠蔽するのは、「言説論的転回」の着地点ではないか。すなわち、「言説論的転回」がもたらしたのは、結局丸山パラダイムへの回帰でばないのか、ということである。そうだとすれば、これは「言説論」の問題として問わねばならない問題だということになる。しかし、子安に向けられるのは、主に以下のような批判のようである。

言説として、事件としてという子安の方法においては、思想家の問題意識に内在的に向き合う道が閉ざされがちであり、そもそも時空を超えた他者の思想世界に向き合うとはどういうことなのかという大きな問題が残されてしまった*10

 「思想家の問題意識に内在的に向き合う」とは、『「事件」としての徂徠学』で斥けられた第一のアプローチである。このアプローチをもって子安を批判しても、論点をはぐらかしたにすぎず、結局は水掛け論にしか帰結しえない。なぜ、子安批判が「実証主義」によってしか返されないのか。例えば子安思想史の「言説=事件」という論点の徹底的な批判は誰もしないのか。あるいはフーコーをはじめとしたポストモダンポストコロニアルの読み直しをしないのか。あるいは、(子安とは視野が違いながらも)同じく言説論を展開している酒井の『過去の声』の読み直しを促さないのか。

「子安思想史って、あるいはポストモダンって、何か結局バラバラにしたインパクトがあるだけで、何も言ってないよね。」などという安直な結論で本当にいいのか。

*1:子安宣邦本居宣長岩波書店、2001年、233頁。「言説論的転回」の記載は、「岩波現代文庫版あとがき」にあるが、本書の初刊は1992年。

*2:誤解のないよう言っておけば、私自身もこの子安の見解に強く共感を受けた者の一人である。もとより、この問題は私一人の手には負えない。私は、徂徠学を専門とするわけではなく、そもそもアカデミズムに籍を置いていない。ただ、思想史研究の現状を管見の限りで鑑みて、自己満足ながらも「整理」が必要だと感じた。どなたもご覧にならないかもしれないが、ご意見を頂戴できれば幸甚である。

*3:子安宣邦『「事件」としての徂徠学』筑摩書房、2000年、10〜12頁。初刊は1990年

*4:同前、13頁

*5:同前、14頁

*6:同前、15頁

*7:子安宣邦酒井直樹/テツオ・ナジタ/ハリー・ハルトゥーニアン/柄谷行人「江戸思想史への視点 奇人と差異あるいは儒者のネットワーク」(柄谷行人編『シンポジウムⅠ 批評空間叢書1』太田出版、1994年)、62〜63頁。初出は『批評空間』第5号、1992年。なお、酒井はこの子安の指摘に対して、「「礼楽」でつくられた古代中国語というのは多様性を可能にしていると思うのですが、ただ徂徠の場合は、彼の「理」という言葉の使い方にあるように、その多様性というのは統御された多様性であって、ぼくの言う均質性というのは全部人間が平等になるという意味ではなくて、階級があって、上下関係―個々人の特異性の尊重さえも全部あった上で―その上下関係や個人間の差異が対称的かつ相互的に了承されているような社会システムが支配している、よく管理された状態を言っているわけですね。ですから、そういう意味での“限定的経済”のみが支配する多様性を、均質な政治社会空間と形容しても矛盾しないのではないでしょうか」(63頁)と応酬している。また、酒井は別のところで、「荻生の古文辞学が、習慣の貯蔵庫としての身体の概念を通じて成就しようと目論んだものは、テクストのテクスト性を無化すること、社会的現実を言説と同一視すること、そして最終的にはその他者性の身体を取り去ることであった。こうして、身体は脱中心化ではなく再中心化の能力に、内面化された行動のパターン化された反復の能力に還元された」(酒井直樹『過去の声―一八世紀日本の言説における言語の地位』酒井直樹監訳、川田潤・斉藤一・末広幹・野口良平・浜邦彦訳、以文社、2002年、原著は1991年、427頁)と論じている。

*8:子安宣邦酒井直樹柄谷行人「音声と文字/日本のグラマトロジー 十八世紀日本の言説空間」(柄谷編前掲『シンポジウムⅠ 批評空間叢書1』)、279頁。初出は『批評空間』第11号、1993年。

*9:子安宣邦『徂徠学講義』(岩波書店、2008年)、19〜21頁

*10:田尻祐一郎「総論 近世の思想」(苅部直・黒住真・佐藤弘夫末木文美士・田尻祐一郎編『日本思想史講座3 近世』ぺりかん社、2012年)、26頁