「「事件」としての徂徠学」と「「出来事」としての徂徠学」

本稿は、「子安思想史とその批判」の補論にあたる。田尻祐一郎による「衝撃―反撥―新しい知の地平という具合に、その展開を叙述する欲求を内在させている」*1という批判からの再考の試みである。また、小島康敬が「「事件」と呼ぶに値しないような思想的事象に対してはどのようにアプローチするのか」*2という批判からも示唆を得た。

 これらの批判は「「事件」としての徂徠学」だからこそ生じた批判ではないか。歴史にifは禁物なのかもしれないが、もし子安宣邦の書のタイトルが「「出来事」としての徂徠学」であれば、これらのような批判は生じただろうか。「事件」としての徂徠学の「波紋」とは、フーコーが批判する「影響」とどのように異なるのだろうか。上記「子安思想史とその批判」でも言及した樋口浩造は、子安思想史の特徴が「なぜ」を封じることであるとして、次のように指摘する。

 

 残されたテクストなり、起こった出来事は、そのテクストが成立後に与えた影響であろうと、出来事以後の社会の変化であろうと、それらは、事後的に意味を発生させるのである。出来事やテクスト以前(背後)に、意味や動機を探る試みとは、より有力な物語を探し続ける不毛な、あるいは非生産的な議論であると言えるのではないか*3

 ここでも、子安思想史の方法論が事後的に意味を発生する一例として、「影響」が挙げられている。だが、これはフーコーが「連続性」の一例として批判した概念ではないのか。「波紋」なり「影響」なり、事後的な意味を問う子安思想史にとっては、「「出来事」としての徂徠学」は誤読なのかもしれない。しかしながら、フーコーと併読するという観点から言えば、「「出来事」としての徂徠学」を構想することは、不当な作業であるとは思われない。

*1:田尻祐一郎「書評 子安宣邦『「事件」としての徂徠学』」(『思想』第七九五号、岩波書店、一九九〇年)、九〇頁。

*2:小島康敬「「本居宣長子安宣邦」『日本思想史学』第25号、日本思想史学会、一九九三年、一二七頁。

*3:樋口浩造「「江戸」の系譜学」(『「江戸」の批判的系譜学』ぺりかん社、二〇〇九年、初出は原題「江戸の系譜学―江戸思想史方法論として」『愛知県立大学文学部論集日本文化学科編』第一〇号、二〇〇八年)、八頁。