政治は「数の力」でしかないのか

十年ほど前のドラマ『白い巨塔』の、ある場面を最近思い出した。唐沢寿明演じる財前五郎の目の前に2つのレールがある。片方は強制収容所行き、もう片方はガス室行き。アウシュビッツのこのレールの前で、財前は「いずれも地獄だったというわけか」とつぶやく。普段はドラマを見ないが、財前のその後を暗示するこの場面は印象に残っている。
 この場面を想起したのは、「憲政史上最悪」と評された国会が幕を閉じたときである。評される与党が「数の力」に依存しているのはしばしば指摘されるが、評する野党も、世論調査を引き合いに出す点では「数の力」に依存している。与野党はいわば共犯関係にあると言える。この共犯関係を前にして、結局政治は質ではなく量なのかと途方に暮れている。
 だが、地獄へのレールのポイントを切り換えられるのは、政治家ではなく主権者である。希望とは歩くことでできる道のようなものだという魯迅の言葉を、絶望の今、改めて大切にしたい。