2019-01-01から1年間の記事一覧
本稿は、「子安思想史とその批判」の補論にあたる。田尻祐一郎による「衝撃―反撥―新しい知の地平という具合に、その展開を叙述する欲求を内在させている」*1という批判からの再考の試みである。また、小島康敬が「「事件」と呼ぶに値しないような思想的事象…
承前周知のように、子安思想史の言説論は、ミシェル・フーコーを論拠としている。伝統、影響、発達、進化、心性、精神、切り分け、書物、作品、起源、解釈といった連続性の諸形態を「宙づり」にする必要性を説きながら、フーコーは『知の考古学』で次のよう…
子安宣邦は、従来の江戸思想史研究とは区別して、自らを「言説論的転回」*1に位置づける。それは「言説(事件=出来事)」という方法論的視座を有することによる。やや長くなるが、子安が荻生徂徠、本居宣長に即して「言説(事件=出来事)」として分析する…