死の意味は必ずある。

死の意味は必ずある。死一般に意味があるのだから、自死にも意味はある。死に意味があるのは、人間の生とは大なり小なり他者との関わりにおいてしか存じ得ないためである。いかに関係の小さな他者とはいえ、ある人間の死を感知しない他者が皆無であることは想定されない。他者に死を感知されることが、ある人間の死に意味があるということである。人間は、意味と不即不離なのであろう。ある型の人間であれば、死してなお、意味を求めようとする。それは、人間的本能と言えるかもしれない。意味のない生、あるいは意味を奪われた生とは、端的にはホロコーストであろう。生においても死においても、ホロコーストとは非人間の極限である。ホロコーストなる生よりは、意味ある死を選ぶ。それは、追い詰められた人間が行き着く先の一つなのかもしれない。