川内原発再稼働に社会の選択を見る

 川内原発の再稼働が決定したが、2014年11月8日の『朝日新聞』でも指摘されているように、この意味は重い。高橋哲哉が『犠牲のシステム 福島・沖縄』で鋭く切開するように、福島原発放射能漏れは「想定外」などではない。「想定内」であったからこそ、大都市に原発がないのである。放射能漏れを「想定内」として、地方に原発を押し付け、それにより経済を潤す植民地主義的な構造は、「地元同意」を必然的に招来させる。それを追認することは、国内の植民地主義的状況を追認することに等しい。
 この問題は結局のところ、「今の自分」と「周囲や将来の他人」のいずれを優先するかという選択に行き着くのではないか。現状を追認することは前者を、打開することは後者を意味する。また、それぞれのリスクを引き受けることをも意味する。前者の自己中心的な発想を批判することは容易だが、その批判が己自身にも当然跳ね返ってくる。しかし、好む好まないにかかわらず、人間が社会で生きていくためには後者が必要であることは言うまでもない。