差別的な差別批判

差別的な差別批判

 2016 年10月20日沖縄県のヘリパッド移設工事への抗議活動に対して、大阪府警の機動隊員が行った差別発言が波紋を広げている。21日には『朝日新聞』社説も掲載された。いかにこの発言が重大な事態であるかを物語っている。しかし、ここで注目したいのは、管見の限り、専ら一連の報道が「土人」という言葉に収束している点である。

 『朝日新聞』の21日の記事に、「土人」とは沖縄や福島の人々へ向けられることが多いという中川淳一郎氏の指摘が掲載されている。つまり、「土人」とは国内向けの差別用語だということになる。だから、一連の報道も国内向けの差別用語に焦点を当てていることになる。その批判は必要ではある。だが、報道によれば、実際には「シナ人」という言葉も飛び交ったと言及されている。ただ、言及されている「だけ」である。なぜ国外向けの差別用語は議論が深められないのか。

 かつて福沢諭吉は「脱亜論」を説いたとされる。仮に直接の作者でなかったとしても、文明の観点から向けられた野蛮への差別意識が福沢に、そして近代日本にあったことは疑いない。その野蛮に中国も含まれている。近代日本に共有された福沢文明論が、現代日本に甚大な権力として機能していることに、改めて瞠目した次第である。

 国内向け用語には注目するが国外向け用語には注目しないという差別が、差別批判にあっては本末転倒であることを明言しておきたい。