生死について

強制的な死の意味付けがファシズムならば、強制的な生の意味付けもまたファシズムなのではないか。

 

とすれば、ファシズム批判の立場をとるならば、死の意味付け(日本では靖国)も生の意味付けも、同時に拒否しなければならない。

 

意味付けがない死とは、無駄死にを意味するのだろうか。しかしそれは、「無駄(意味がない)」という意味が付された死である。意味付けがない死とは、文字通り意味付けがない、純粋な死、絶対的な死なのだろうか。そうした死は、あり得るのだろうか。