想起すべき国民の「責任」

 安倍晋三首相が解散・総選挙を決めてから、種々の議論がなされている。中でも私が着目しているのは、今回の選挙が安倍政権を崩壊させる好機であるという言論である。確かに、アベノミクスは資本主義を推し進めて貧富の差を拡大したようにしか見えない。また、特定秘密保護法の成立や集団的自衛権の容認に見られるように、戦後民主主義をなし崩しにしている。
 しかし、そもそもこの安倍政権を成立せしめたのが何者であるのかも、今改めて想起しなければならない。アベノミクス特定秘密保護法集団的自衛権容認、すべて主権者たる日本国民による産物なのである。例えば、11月11日の「消費税10% 暮らしていけぬ」には、アベノミクスによる窮状が切実に告白されているが、この状況は安倍政権成立以前から議論されてはいなかったか。安倍政権成立の「責任」は国民にある。なぜ自ら生み出したものを安易に揚棄しようとする考えが、昨今噴出しているのか。それは、安倍政権を成立せしめた際に、場当たり的な民主党への批判から議論が出発していたからではないのか。今回の選挙は、政権を選択する契機であると同時に、無責任な選択が繰り返されうる契機でもある。自らの考えを持たず、周囲の意見に振り回されて投票し、都合が悪くなれば政権を交替させる、こうした稚拙な遊戯に終止符を打たねば、結局は同じことの繰り返しにしかならない。