本質的な極悪人は存在するか

 数年前のものだが、「アイ・アム・レジェンド」という映画がある。そこでは、ガン治療薬から突然変異したウィルスが世界中で猛威を振るい、90%の人間は死亡、健全な生存者は1%にとどまり、残りの9%は「ダークシーカー」と呼ばれる食人鬼と化している。その過程で科学者である主人公は、治療薬の実験台として「ダークシーカー」の女性1人を生け捕りにする。その時、男性の「ダークシーカー」も出てくるが、紫外線を避け、すぐに去ってしまう。その場面を、主人公はこのように振り返っている。「男性感染者が自ら日差しの下に出てきた。脳機能の低下か、あるいは飢えにより生存本能が鈍っているためか。人間らしい行動は全く確認できない。」
 ここには人間の恐ろしさが凝縮されている。「ダークシーカー」の救助とも思われうる行動が、「人間らしい行動」とは捉えられていない。すなわち、「人間的なものの人間性」が捨象されているのである。それは同時に、「人間的なものの非人間性」をも露出させる。本質的な極悪人など存在しない。自己批判のない人間は容易に「凡庸な悪」(ハンナ・アーレント)に呑まれる。「空気」を読むことを重視する日本社会に、極めて重要な示唆を与える映画である。