「ネトウヨ」は妥当な用語ではない

 2014年2月11日朝刊の「田母神氏 60万票の意味」によれば、東京都知事選で田母神氏を支持したのは「ネトウヨ」と呼ばれる層である。「ネト」は「ネット」を指し、「ウヨ」は「右翼」または「保守」を指す。翌日の朝刊には宇野常寛氏が、「ネトウヨ」の膨張の要因として、「リベラル」が現状の不安に対する現実的な対策を明示できていない点を指摘している。宇野氏が触れていない問題で私が重要であると考えるのは、「ネトウヨ」の「ウヨ」(右翼)という言葉についてである。
 既に使い古された感がある「右翼」は、「左翼」(リベラル)の対立項として消費されてきた。ただ、この両者の共通の土台として、かつては「思考」が見受けられた。しかし、都知事選での「ネトウヨ」の見解を鑑みよ。同じく2月11日の朝刊によれば、「誇りが持てる」(男性会社員)、「強さを感じた」(女子大学生)など、まるで「思考」が見られない。むしろこれは「感覚」である。 
 「ネトウヨ」(感覚重視)は「右翼」(思考重視)ではない。私は、「ネトウヨ」と「右翼」を混同してしまっているために、明確に「敵」を定めることが出来ていない点が問題であると考える。若年層が右傾化している感があるのに、データ上はその結果が得られないのも、この混同に要因があろう。こうした「化け物」と対峙するためには、「敵」を的確に「言語化」するのが先決ではないか。