朝日新聞(2013年12月7日)「声」欄掲載文

取り急ぎ、新聞版をコピペします。原文版と補足は後日。ただ、「自ら招いた結果やねんから耐えろ」といった、安直な自己責任論に済ませるつもりは、毛頭ありません。

安倍政権成立から1年。特定秘密保護法強行採決など、その排他的かつ暴力的な姿を曝(さら)け出している。

 しかし、昨年の衆院選自民党を与党に押し上げたのは、我々日本国民である。東京電力福島第一原発の汚染水処理が解決していないのに、2020年の東京五輪の開催決定に狂喜する。そんな日本国民の現状を見ると、「国民主権」をうたう日本国憲法を骨抜きにしているのは、政治家ではなく、むしろ我々国民ではないかとも思えてくる。

 数日前に、自民党幹事長がデモをテロ呼ばわりしたが、昨年には民主党首相がデモを「大きな音」と言った。自民であれ民主であれ間接民主制をとる限り、政権与党の醜態の責任は、我々日本国民にあるのだ。

 11月28日の記事では、作家の高橋源一郎氏と批評家の濱野智史氏が、ともにハンナ・アーレントの「凡庸な悪」に言及している。この概念は、誰の心にも「ナチス的な心」が眠っていることを示している。憲法改正にからみ、ナチス政権を引き合いに「手口に学んだら」という発言をした元首相もいる。与党が代わるたびに、国民が場当たり的に政権を非難するときこそ、我々の心の内で「凡庸な悪」が首をもたげた瞬間なのかもしれない。