子安宣邦『徂徠学講義』―子安思想史と言説論的転回を問う―

子安思想史(敢えてこう言う)は、従来の思想史とは区別して、自らを「言説論的転回」*1に位置づける。それは、例えば次のようにある、「言説=事件」という方法論的視座を有することによる*2

「事件」としての徂徠学という私のアプローチは、徂徠の発言が十八世紀の思想空間においてもつ事件性を明らかにしようとするものであるが、そのことは同時に、そうした徂徠の学問・思想上の発言を「言説」ととらえる観点から、その「言説」としての意味を問おうとするものであるのだ。(中略)徂徠の発言が受け手のうちに、事件としての波紋をもたらした、そのことを見るべきであろう。反徂徠の論者たちが発言の動機に遡ってそれに醜聞的な色合いを帯びさせたのは、徂徠の発言そのものが強く事件性をもっていたからである。徂徠の発言の何が事件的であったのあか。見るべきなのはその点であり、私が本書で論じようとしたのも、まさしくその点である。徂徠の発言の事件性であり、その事件=言説の意味である*3

この「事件=言説」(フーコーが直接の典拠とされているが、恐らくドゥルーズなども念頭にあろう)が批判的に向き合う方法論的視座として、「テキストの内側への読みの深化、徂徠という思想主体を十全に構成する形での読みの深化のうちに、言説のほんとうの意味を確かめようとするアプローチ」*4と、「ある物語を構成し、その展開の筋道にその言説を位置づけることで、その言説の意味をとらえたとする立場」*5がある。そして、「さきのアプローチが、さまざまな言説を内から統一的に体系づけているような思想主体を再構成することで、その言説の意味の把握を終局させようとするものだとすれば、このアプローチは、さまざまな言説を内から綴り合わせる歴史・物語の筋道を再構成することで、その言説の意味を把握したとするのである」*6とされ、後者には丸山眞男、前者には(宣長論ではあるが恐らく)小林秀雄が想定されている。

徂徠のために弁ずるかたちになるんだけれども(笑)、酒井さん〔酒井直樹‐田中注〕の言われているのは丸山的な徂徠像だという気がする。丸山政治思想史がとらえる権力的制作者徂徠から出てくる世界像は、そういうものだろうと思うのだけれども。徂徠の側から立って弁ずると、一つは異質なもの、多様性を含みこんだ政治的な世界というか、それが徂徠が言う「礼楽」からなる世界だと思うのです。徂徠の立場からすると画一的な世界、あるいは均質的な世界というのは、先王の世界とは逆のものだと思います。(中略)むしろ均質なものと捉えているのは朱子学的な世界で、それに対して「道」が「文」だということで朱子学的言説に解体的に関わったのが徂徠の言説だと思うのです*7

ぼくは徂徠を音声中心主義と捉え、そこから徂徠に共同体的な内部意識の発生や国家主義の原型を読み取っていくことに異論があるのです。それは結局、丸山さんの徂徠をひっくり返したことにすぎないのではないかと思っているのです*8

だが、子安は約15年後には、次のように語るに至る。

徂徠学とは社会的存在としての人間と、その社会的形成のあり方をめぐる、徹底した外部的視点からなされた日本思想史上最初の社会哲学的記述である。(中略)徂徠学が宣長国学や後期水戸学を介して近代日本の国家理念の形成に深くかかわっていることの指摘は、影響的射程という思想史的地平を超え出た問題の地平にわれわれを導くだろう*9

 これはまさに、「徂徠に共同体的な内部意識の発生や国家主義の原型を読み取っていくこと」であり、「丸山さんの徂徠をひっくり返したこと」になるのではないか。だが、ここでも子安は丸山にきわめて批判的である。それは『「事件」としての徂徠学』と通ずるところである。この子安による丸山批判が隠蔽するのは、「言説論的転回」の着地点ではないか。すなわち、「言説論的転回」がもたらしたのは、結局丸山パラダイムへの回帰でばないのか、ということである。そうだとすれば、これは「言説論」の問題として問わねばならない問題だということになる。しかし、子安に向けられるのは、主に以下のような批判のようである。

言説として、事件としてという子安の方法においては、思想家の問題意識に内在的に向き合う道が閉ざされがちであり、そもそも時空を超えた他者の思想世界に向き合うとはどういうことなのかという大きな問題が残されてしまった*10

 「思想家の問題意識に内在的に向き合う」とは、『「事件」としての徂徠学』で斥けられた第一のアプローチである。このアプローチをもって子安を批判しても、論点をはぐらかしたにすぎず、結局は水掛け論にしか帰結しえない。なぜ、子安批判が「実証主義」によってしか返されないのか。例えば子安思想史の「言説=事件」という論点の徹底的な批判は誰もしないのか。あるいはフーコーをはじめとしたポストモダンポストコロニアルの読み直しをしないのか。あるいは、(子安とは視野が違いながらも)同じく言説論を展開している酒井の『過去の声』の読み直しを促さないのか。

「子安思想史って、あるいはポストモダンって、何か結局バラバラにしたインパクトがあるだけで、何も言ってないよね。」などという安直な結論で本当にいいのか。

*1:子安宣邦本居宣長岩波書店、2001年、233頁。「言説論的転回」の記載は、「岩波現代文庫版あとがき」にあるが、本書の初刊は1992年。

*2:誤解のないよう言っておけば、私自身もこの子安の見解に強く共感を受けた者の一人である。もとより、この問題は私一人の手には負えない。私は、徂徠学を専門とするわけではなく、そもそもアカデミズムに籍を置いていない。ただ、思想史研究の現状を管見の限りで鑑みて、自己満足ながらも「整理」が必要だと感じた。どなたもご覧にならないかもしれないが、ご意見を頂戴できれば幸甚である。

*3:子安宣邦『「事件」としての徂徠学』筑摩書房、2000年、10〜12頁。初刊は1990年

*4:同前、13頁

*5:同前、14頁

*6:同前、15頁

*7:子安宣邦酒井直樹/テツオ・ナジタ/ハリー・ハルトゥーニアン/柄谷行人「江戸思想史への視点 奇人と差異あるいは儒者のネットワーク」(柄谷行人編『シンポジウムⅠ 批評空間叢書1』太田出版、1994年)、62〜63頁。初出は『批評空間』第5号、1992年。なお、酒井はこの子安の指摘に対して、「「礼楽」でつくられた古代中国語というのは多様性を可能にしていると思うのですが、ただ徂徠の場合は、彼の「理」という言葉の使い方にあるように、その多様性というのは統御された多様性であって、ぼくの言う均質性というのは全部人間が平等になるという意味ではなくて、階級があって、上下関係―個々人の特異性の尊重さえも全部あった上で―その上下関係や個人間の差異が対称的かつ相互的に了承されているような社会システムが支配している、よく管理された状態を言っているわけですね。ですから、そういう意味での“限定的経済”のみが支配する多様性を、均質な政治社会空間と形容しても矛盾しないのではないでしょうか」(63頁)と応酬している。また、酒井は別のところで、「荻生の古文辞学が、習慣の貯蔵庫としての身体の概念を通じて成就しようと目論んだものは、テクストのテクスト性を無化すること、社会的現実を言説と同一視すること、そして最終的にはその他者性の身体を取り去ることであった。こうして、身体は脱中心化ではなく再中心化の能力に、内面化された行動のパターン化された反復の能力に還元された」(酒井直樹『過去の声―一八世紀日本の言説における言語の地位』酒井直樹監訳、川田潤・斉藤一・末広幹・野口良平・浜邦彦訳、以文社、2002年、原著は1991年、427頁)と論じている。

*8:子安宣邦酒井直樹柄谷行人「音声と文字/日本のグラマトロジー 十八世紀日本の言説空間」(柄谷編前掲『シンポジウムⅠ 批評空間叢書1』)、279頁。初出は『批評空間』第11号、1993年。

*9:子安宣邦『徂徠学講義』(岩波書店、2008年)、19〜21頁

*10:田尻祐一郎「総論 近世の思想」(苅部直・黒住真・佐藤弘夫末木文美士・田尻祐一郎編『日本思想史講座3 近世』ぺりかん社、2012年)、26頁