中国旅行(2013/05/01〜05/05)

もうブログっていうか何ていうか、普段使わなさすぎて、存在自体忘れそうでした(笑)でも、ストレスが溜まった時の文章化などに、今後も使い続けていきたいと思います。

さて今回は、先日行ってきた中国旅行についてです。
出来事とかプチ感想を時系列で書いていきます。
感じたこと、考えたこと等は最後にまとめてあります(【後述編】)。そっちは興味のある方(?)だけどうぞ(笑)

【1日目(5/1)】

仕事で日本で来ていた連れは、朝の飛行機で先に上海に行って、俺も別の飛行機で夕方に上海に着きました。で、上海の空港で連れと合流して、宿に向かいました。

が…
























まさかの宿泊を拒否されるという事態に。

連れ曰く、事前に「外国人でも宿泊OK」という確認はとっていたにもかかわらず、その場で「外国人は宿泊できません」と言われたとのこと。連れが冷静に理詰めでキレてる感じの様子にひたすら恐怖しつつ、それ以上に外国人差別(日本人差別?)に戦々恐々としてました(後述①)。

幸い、別のホテルに宿泊できました。でも、外で日本語を話すのさえこの日は恐怖しました。今までに2回上海にいきましたが、こういうのは今回が初めての経験でした。

【2日目(5/2)】

ご挨拶というわけでもないですが、連れのお母様に会いに、連れの実家に行きました。新幹線的なやつで移動したのですが、乗る前までは車窓をひっそりと楽しみにしていました。「日本とはどういう違った風景が見れるだろう」と。今から思うとオリエンタリズム的で、自己嫌悪ですが。

でも、(中国の中部だからかもしれませんが)見える車窓は日本と大して変わりませんでした。都会→田舎→都会→田舎…みたいな感じで。なので飽きて、後半は爆睡してました。

3時間ほど乗って、地元の駅に。結構な都会。降りるや否や、おっちゃんやらおばちゃんやらにいろいろ言い寄られるけどひたすら流す。連れ曰く、「タクシーに乗りませんか?」というお誘い。でも、法外な金額を要求されるらしい。

で、普通のタクシーに乗って15分ぐらいしてご実家に到着。お母様を目の前にすると、めちゃめちゃ緊張して超ガチゴチに…。でも、ご飯がめっちゃおいしかった。特にお粥。それもうまく言葉にできないぐらい緊張。ただ、すごく量が多い。少食やから余計にそう感じました。

【3日目(5/3)】

この日は、連れの地元でひたすらのんびり。「起きるのは10時ぐらいでいいよ」って言われたので、お言葉に甘える。起きてから朝昼兼用のご飯を食べましたが、緊張が若干ほぐれたためか、割と食べられました。何皿か空けました。後から聞いた話では、お母様も「全部食べきってくれると、また新鮮な具材で新鮮な料理を作れる」と喜ばれてたみたい。

食器の片付けとかを少し手伝って、近くの街にお出かけするまでに少し時間があったので、持って行っていた溝口雄三『方法としての中国』を読んでました。別に「○時から出かけるよ」ということもなかったので、それを読んだりぼーっとしたりしていました。(後述②)

で、お出かけしました。公園とかを散歩して、服とかのお買い物しました。基本的に服を買うのが面倒だと思っているので、滅多に買わないのですが、まあ物価も安いだろうと思って買ってみたらそんなに日本と変わらない気もするっていう結果に…(笑)

で、連れが考えてくれてたお出かけコースに、李鴻章の生家(やったかな…)があったので、そこを見学。『方法としての中国』をちょうど読んでたので、近代中国の関心が強くなりました。とりあえず、岩波新書李鴻章の本が確かあったと思うので、積読に余裕が出たら買おうと思います。出来れば大谷敏夫とか村田雄二郎とか汪暉とかの本も(ただ、高いのが多い…)。

またご実家にお邪魔して多めの晩御飯。「ここは初めてきた土地で、お料理も日本にはないものが多いですが、お母さんのお料理が「おふくろの味」っていう感じがして、すごく懐かしい味に感じます」っていうようなことを連れに通訳してもらって伝えたら、笑ってはりました。基本薄味でしつこくない味だったので、いつも以上の量を食べられたと思います。料理の味って結構大事なんですね。

脱線ですが、うちの(父親の方も母親の方もどっちの)おばあちゃんも、俺が小さいときには「こんなに!?」っていう量の食べ物を用意して食べさせてくれたけど(食べきれない時もあり…)、そういうのって国境を問わず人類史的にあるんかなぁって思うと、何かほのぼの。「文化」とか「風土」っていう言葉で片づけたくはないですが。

【4日目(5/4)】

この日は朝の8時に起きて、その日の帰りの新幹線のチケットを予約しにお出かけ。ついでに、プチお買い物。また服を買いました。「ちゃんと自分で買ってね」っていう何回も親から言われた言葉を、連れにも言われました(笑)はい。買うようにします。(笑)

お昼にはご実家をあとにして新幹線に乗って、夕方には上海に。次の日が俺の誕生日やったので、連れが近くのケーキ屋さんでケーキを買ってくれて、ホテルで食べました。地味に感動。

【5日目(5/5)】

12時チェックアウトなのをいいことに、グダグダしてたら危うくチェックアウトの時間を過ぎそうに。特に用事もなかったので、空港に行って、飛行機をぐだぐだ待って、飛行機乗って、帰ってきました。おたおめのメッセージ等を下さった方々、ありがとうございました!そして、日本でも中国でもいろいろ助けてくれた連れに謝謝!!



【後述編】


先述の通り、「外国人(おそらくは日本人)だから」という理由で、1日目は予定のホテルに宿泊できませんでした。瞬間的に、「中国って怖い」って思いました。しかし、考えても見れば、日本でも同様のことをしているはずです。偶然にも、うちでとっている朝日新聞には、GW中にそういう特集が組まれています(「敵がいる」)。「でも自分は違うから…」と一瞬思いましたが、そもそも「俺は差別してるぜ!!」っていう言葉のみで自己正当化を図る人はいるのでしょうか。たとえその言葉を使っていても、別のことに(表面上だけでも)目的を設定している場合がほとんどではないでしょうか。
裏返して言えば、差別というのは、意識的な発言や行動ではなく、無意識的な発言や行動にこそ表れるものであって、そうである以上、自分の発言や行動が知らず知らずのうちに差別と化しているかもしれない、というごくごく当然のことです。「他者」を飼い馴らすことについて、自らに警鐘を鳴らし続けるしか、この差別に自覚的である方法は今のところ思いつきません。

「日本文化は、伝統のなかに独立の体験をもたないのではないか、そのために独立という状態が実感として感じられないのではないか、と私は思う。外からくるものを苦痛として、抵抗において受け取ったことは一度もないのではないか。自由の味を知らぬものは、自由であるという暗示だけで満足する。ドレイは自分がドレイでないと思うことでドレイである。「呼び醒まされた」苦痛は、日本文化には無縁でないのか。そうでなければ、わざわざ呼び醒まそうとして近代や絶望や実存や、その他さまざまな対症薬を持ち出すことが行われるはずがないではないか。」(竹内好「中国の近代と日本の近代」『日本とアジア』筑摩書房、1993年、53〜54頁)

付言すると、日本だけに言えることか、「日本」という括りでしか言えないことか、というのは考えないといけないと思います。


時計やケータイ、手帳といったスケジュールを示す物を気にしないということは、「時間」を気にしないということになると思います。自分的には、これは日本にいては出来ないことです。出社日は言うまでもなく出社時間、授業時間、退社時間等々があるので、「時間」を意識せざるを得ません(学生時代も同様)。公休日になったところで、公休日には公休日で買い物やゴミ捨て、仕事に備えてのリラックス(!)をしたりするので、どうしても「時間」を気にしてしまいます。うまく実行できるかどうかは別として、「これをやるためには、これを何時までに終わらせて、それから…」というのを条件反射的に考えてしまいます。
でも、中国にいる間のこの時間は、ほとんど「時間」を気にしませんでした。思うに、「効率」を考える必要がほとんどないからです。「日常の外部」あるいは「近代の外部」という言葉で説明しようと思えば出来るのかもしれませんが、何か違う気も一方ではします。「外部」っていう問題群は、未だにとっつきにくいテーマです…。