江戸思想研究ネットワーク第1回例会(荷田春満「創学校啓」史料精読第1回)

5月17日、立命館大学にて、わたくしの所属する「江戸思想研究ネットワーク」
*1の第1回例会が行われました*2。参加者はわたくしを含め2名でした。

今回のテキストは、荷田春満「創学校啓」です。これを何回かに分けて読んでいく予定です。

報告や議論の概要は江戸思想研究ネットワークのブログに記載されていますので、ここではわたくしなりにやや議論を深めてみようと思います。自己満足になってしまうかもしれませんが(笑)

論点は大きく2つあったと言えると思います。1つは史料の読みの問題、すなわち、史料中の「教化周からざれば、則ち治を先王に深くす」(日本思想大系、330頁)という箇所についてです。報告者は、「教化が遍くいきわたるならば、その治世は先王より深いものとなりましょう」という現代日本語訳を提示しておられました。

しかしながら、「周からざれば」という否定の表現がこの訳では活かされていません。わたくしはこの点を疑問として挙げました。無論、ご提示いただいた訳の方が意味は通じますし、素直に解釈できます。ただ、原漢文でも「不周」となっており、やはりこの点は無視できない問題だと思っています。結果的には判断保留という形になりましたが、まだまだ議論の余地は残されています。

このことから考察させられたのは、「史料(=テクスト)を読むとはどういうことか」ということです。わたくしが理解している限り、テクスト論では、当該期の諸テクストとの関係性において初めてテクストの意義が明らかになる、という立場を採ります。したがって、先述の「不周」の解釈をめぐっても諸テクストに言及した上で議論する必要があります。

ただ、(これまでの理解が誤解を含んでいたせいかもしれませんが)最近になって疑問に思っているのは、「諸テクストとの関連からテクストを問う必要があるとはいえ、果してテクストそのものの読みを疎かにしてよいのか」ということです。その点、今回の議論では、未だ不十分とはいえ、この疑問と明確に向き合うことが出来たのではないかと考えており、個人的には非常に有意義だったと思っています。


もう1つの論点は、春満が徳川政権の成立を易姓革命の論理で認識している可能性があるということです。それは、「維新」という言葉の解釈に関わります。

思想大系の頭注では「天命」という文言も使用されており、この指摘を踏まえるならば「維新」を「易姓革命」と捉えることもできるでしょう。現代日本語訳では「天命が新たに下り、新政が行われたとき…」となっており、わたくしもこの解釈が妥当だと考えています。

ここからは、「国学」をめぐる議論が展開できると思います。春満は一般に、「国学」者として分類されています。「国学」は、本居宣長を典型として、「儒学」の対抗として成立した言説であると言えるでしょう。しかしながら「国学」者は、徳川政権を大政委任論で説明することはあっても、新王朝の成立(=易姓革命)として説明することは、管見の限りありません。したがって、「春満=国学者」という構図は議論の俎上に乗せられてしかるべきです。

報告者からは、「易姓革命」とは別の観点から、春満を「国学」者として分類することへの異論がありました。やはりこの点も、今後の研究会で議論を展開する上で重要な論点の1つになると思います。

最後になりましたが、少し研究会の補足をば。「江戸思想研究ネットワーク」は、現在は立命館大学大学院のメンバー3名で構成されていますが、他大学の方々も歓迎です。むしろ、そのためにインターネットでブログを公開しています。もし興味があればお気軽にご参加ください。