思考力の欠如が主権者の忘却的納得へ

政治家の失言とその撤回。個人的にはもう飽き飽きしている。国務大臣は全員がそうではないが、内閣総理大臣は国民の代表たる国会議員でもある。国会議員は選挙で当選しなければその地位を持続できない。したがって、安倍内閣を政権から退けるには、選挙で当選させないことが選択肢としてある。だが、恐らくそうはならない。先は見えている。安倍政権の存続である。なぜなのか。

 選挙があるため、政治家の地位は本来可変的である。それにもかかわらず政権が不変的なのは、主権者が不変的だからである。その大きな要因は、思考力にある。仕事や日常生活でも、要領の良さ、成果と共に行動力が特権的に重視され、要領の悪さ、過程と共に思考力がいとも簡単にポイ捨てされるのが現代日本である。大学の人文系学部の蔑視が典型ではないか。種々の悪法成立の際にも、「デモに参加した」という「行動」で、政治参加をしたと思っている方も多いと思う。

 政治家の失言があると、大方の「声」はその政治家に向く。しかし、それでは政権を逆説的に持続させることにはなっても、交代させることは不可能だと考えている。政治家への表面的かつ行動的な批判をして事足れりとする態度は、このポイ捨てを助長することにしかならない。その先は、政治家の発言撤回と、主権者の忘却的納得である。私の「声」は政治家ではなく、主権者に向けている。